影踏み、君の名を口にする ‐3‐


 オーディンへの報告はトールに丸投げして、ロキは足早に自宅へと帰った。しかし開けた扉の先、踏み入れたそこにあったのは、得たかった安堵ではなかった。
 誰もいない。灯火のない家内は奇しくもあのときと同じ光景だった。朱の陰影、伏したような静寂。あれは幻で現実ではないと己に言い聞かせても、全身の血液が足元に落ちて内側から冷えてくる感覚はやまない。
 ――シギュンを探しに行こう。
 じっとしてはおられず、ロキが居間から踵を返したとき、玄関の扉が開く音がした。一瞬躊躇いながらも、そちらへ足を向けた。
「ロキ。帰っていたのね」
 歩みが止まる。薄闇でも認識できる、金と青。求めていた容姿を目の前にしてロキの胸が騒いだ。
 おかえりなさい、と過ごしてきた月日の記憶と変わることなく穏やかに迎えてきたシギュンに、ロキは一言の返事もできなかった。違うと理解していても、探るように彼女を見つめてしまう。
「どうしたの? 顔色がよくないわ」
 シギュンが表情を曇らせる。覚えているあれとはそこに宿している感情は異なるとわかるのに、ロキは居たたまれない恐怖に駆られた。
「ロキ……?」
 か細い声が、沈みかける心を現実に繋ぎ止める。
 このままではだめだ、言わなければ。そうロキは思った。
 平気だ。大丈夫。……違う、それらではない。返答ではなく、彼女に伝えるんだ。
 ――全てがなくならないように、最も知っていてほしいことを。
「調子が悪いなら、エイルさんに診てもらったほうが」
「シギュン」
 強く意思を込めた呼びかけでロキはそれ以上の発言を遮って、自分のほうにシギュンを引き寄せ、抱きしめた。
 突然の出来事に、シギュンは戸惑いを漂わせたが抵抗はしなかった。
 肩に乗せた顔に触れる、たおやかな髪の毛が心地いい。感じる二つの鼓動が、互いの中で交じり合っているかのようだ。
 彼女の温もりに心のわだかまりが溶けていき、やがて一つの明確な感情だけが胸中に残った。
 耳元で、ロキが囁く。
「シギュン、愛してる」
 反応は……なかった。
 途端にロキは不安になって、体を離して彼女の表情を確かめようとした。しかし、その前に細い腕が背に回されて、ぎゅっと力を込められた。
 驚くロキの傍らで、温かな声音が想いに応えた。
「私もよ、ロキ」