本線達を繋ぐ飯田線の苦労


「飯田線、ちょっとよいか」
 豊橋駅の改札内の通路で、突然、東海道本線に呼び止められた。
 おれは前に進もうとしていた足を止め、近づいてくる相手を待って口を開いた。
「何か用か?」
「おぬし、明後日、辰野駅で中央と会うじゃろ?」
「ああ」
 一応、直通関係なのもあって中央本線とは月に一度運行に関してのミーティングをしている。
「では、これを中央に渡してくれ」
 東海道本線が差し出してきたのは、A4サイズぐらいの長方形の白無地の紙袋。
「おれが……? 自分で渡したほうが早くないか?」
 直通関係といっても、東と東海に所属する中央本線と会うことは多くない。同じように東と東海に所属している東海道本線のほうが会う機会はあるだろう。それに、わざわざおれのスケジュールを確認して任せるぐらいなら、中央本線のスケジュールを確認して直接会って渡したほうが早いし、確実な気もするが……。
「あいにくと、わしは今から明後日まで西日本に行かねばならん」
「……わかった」
 返事をして紙袋を受け取る。
「よろしく頼むぞ。中央がいらないと言っても押しつけてこい」
 え。
 東海道本線が穏やかな態度を変えることなく言った言葉に嫌な感じがしたが、断るには遅すぎた。
 一時的に止まった思考が回復するよりも先に、東海道本線はおれから離れ行ってしまった。
 見えなくなった制服の背中から、手に持つ紙袋に視線を移す。
 口の部分は端から端までテープできっちりと封をされていて、中身は見えない。重さはそんなにないが、一体何が入っているのか。
 ……これは、面倒なことを引き受けてしまった、かも。

   ◆

 二日後、予定通りにおれは辰野駅の事務所内で中央本線と定期ミーティングをした。主に今後の運行に関してのことを話し合って、ミーティングは滞りなく終わった。
「そうだ、中央本線。これ」
 ミーティング終了後、おれは書類や筆記用具をしまう中央本線に例のものを机越しに差し出した。
 中央本線は一瞬驚いた顔をして紙袋を受け取った。
「君からの贈り物なんて珍しいね」
「いや、おれじゃなくて東海道本線からだ」
「東海道?……なるほど、そうきたか」
 中央本線が少し見開いた黒の瞳をすぐに細めて、紙袋を見下ろす。ややあって、口のテープをはがし始めた。
 なんだか意味深い相手の一言に、紙袋の中身への興味が強くなったが、同時に関わるべきではないと昔に培った警戒心が首をもたげる。
 ……用は済んだのだから、もういいだろう。
「じゃあ、おれは飯田のほうに戻るから……」
「待って、飯田線」
 椅子から腰を上げたおれを中央本線が呼び止める。その表情は穏やかな笑顔だ。
 嫌な予感。しかし、この距離で聞こえなかったふりはできない。
「なに、」
 おれが応えるや否や、中央本線は封を開けた紙袋の中身を机の上にぶちまけた。
 カラ、ガタ、カタンなどという音が立つ。紙袋から出てきたのは、ペン、キーホルダー、箱、ステッカー、クリアファイル。そのどれにも見覚えのある緑と橙色の車両の絵に、『東海道線』『開業130周年』の文字がある。
 これは……記念グッズ……?
「本当、東海道には困ったものだね」
 中央本線がため息を吐いて、手のひらよりも大きい箱を指で弾く。軽い音を出して揺れたそれは、並ぶ文字列からどうやらクッキーのようだ。
「ええっと、中央本線……」
 呼び止めた相手に、出された中身、呆れたような言葉。未だに自分の立ち位置がわからずにおれが声を発すると、中央本線はグッズから視線を上げた。
「これ、全部、東海道の記念グッズ」
「……ああ」
「なんでこんなものを東海道がぼくにくれたと思う?」
 聞かれて、返答に迷う。中央本線が望んでではないことは彼の言動からわかったが……。
 中央本線がビニール袋入りのペンを取ってもてあそぶ。
「対抗意識だよ。東日本側でぼくのグッズや企画がけっこうされているから、そのね。昔よりも物腰は柔らかくなったけど、プライドの高さは変わらないね、あの始祖さまは」
 ……つまり、東海道本線が中央本線に『自分のほうが人間達に好かれている』ということを自慢するための贈り物か。なんだそれ。
 自分に託された物の程度の低さに、呆れとどうしようもない虚しさを感じる。
「飯田線」
 胸中が顔に出てしまっていたのか。中央本線が妙に優しげな声色と笑みを浮かべておれを呼んだ。
「東海道に付き合わされて災難だったね。そんな君には、ぼくからこれをあげるよ」
 そう言って中央本線は東海道のペンを放り出すと、鞄からいくつかの物を取り出して机に置いた。
 駅名標や橙色の車両が描かれたマスキングテープにペン。
 これは、もしかしなくとも、中央本線のグッズか……? なんでそんなものを都合よく持ってるんだ……しかも、ビニール袋に入った新品を……。
「あげる。遠慮なく使っていいよ」
「……ありがとう」
 断る勇気は出てこなかった。どこで使えばいいのかと思いながら、おれは中央本線のグッズを自分の鞄にしまった。
 ――ああもう、これ以上、本線達の面倒事に巻き込まれたくない。
 幸いか、上りの列車があと五分ほどでくる。
「列車がくるからおれはこれで」
「あ、飯田線。東海道に会ったら、『素敵な贈り物ありがとう』って伝えておいて」
「……はい」
 おれよりも中央本線のほうが先に会いそうだが……と思った言葉は、吐き出すことはできなかった。
 恐いほどに笑顔の中央本線に会釈して、少し足早に事務所の外に出た。
「はぁ」
 目的のホームで立ち止まって、頭上に広がる青い空を見ながら息を吐く。
 今も昔も、本線という存在は本当に面倒くさい。