山陽新幹線→東海道新幹線
「はじめまして、東海道新幹線。今度開業する山陽新幹線です。よろしくお願いします」
そう言ってすぐそばで彼を見上げた日のことは、何十年経った今でも忘れられない。
鼻筋の通った顔立ちは冬の早朝のような凛とした印象で、噂通りの白い髪の毛がそれをさらに強く感じさせる。
僕は口を閉じて、背筋を伸ばして、自分と同じ色合いの黒茶の眼を見つめたまま、じっと返事を待った。
静けさの中で彼が一度、瞬きをする。
「よろしく」
返ってきたのは短い言葉だった。冷静な声や顔は少しもにこりとしない。
それでも、僕の胸の奥は心地好く熱くなった。
◆
闇夜の中から白い車体が滑るように現れて、少しずつ速度を緩ませながら目の前で停車した。
定刻どおりに到着した列車からは多くの乗客が降りてくる。さすがに新大阪行の最終列車とあってホームに留まる者はおらず、足早に改札のほうへ向かっていく。
あっという間に人の波は消えて、列車の行き先表示が回送に変わった。
足音とざわめきが過ぎ去ったホームは、夜の冷たい空気に包まれて、どこか寂しくしんとなる。
そこに一号車の出入口から、黒い制服を着た長い白髪の男が一人、降りてきた。
「東海道」
僕が呼ぶと、静かに黒茶色の瞳が向けられた。
「山陽。何かあったのか?」
こちらに歩み寄ってきた東海道の顔が少し緊張の色を帯びる。
連絡はなくとも運行トラブルを危惧するのは、さすが日本の大動脈として走る東海道新幹線だ。けれどここ三日間、彼の心配の種であるそれが続いているせいか、普段のような凛々しい雰囲気は弱く、どことなく疲れているように見えた。
「ううん、僕のほうの仕事は終わったから待ってたんだ。お疲れ気味の東海道を労おうと思ってね。お疲れさま」
途端、東海道がむっとした表情を浮かべた。
「どーも」
素っ気なくそう返事をすると、止めた足を動かして僕の横を通りすぎていく。
「ちょっと待ってよ、東海道!」
すたすたと改札に続く階段を降りていってしまう東海道を慌てて追う。隣に並んで見たその横顔は、やはり、機嫌を損ねている。
理由はすぐに思い当たった。
「もう、嫌みで言ったわけじゃないよ」
「………」
「東海道」
「……わかってる」
そう言いながらも、つんとした態度は変わらない。
……まったくもう。
僕は階段を先に降りて、東海道の前に回り込んだ。
東海道が一段間を空けて立ち止まる。
「おい」
東海道のむすっとした顔に疑問の色がうすっらと浮かぶ。
……久しぶりだ。こうやって東海道を見上げるのは。開業する前までは当たり前の景色だった。
「おい」
怪訝の含んだ声でもう一度東海道が僕を呼ぶ。
眉間に皺の寄った顔。昔はこの表情をされるのが恐かった。怒られるという恐怖の他に、彼に嫌われたかもしれないと思ったからだ。
けれど、今は違う。あの表情の下にあるものがわかるようになったから。
「山陽、」
「東海道」
続く言葉を遮って、僕は笑う。
「夕飯は白菜と豚肉の鍋だからね。仕事が終わったら、寄り道しないで帰ってきてね」
「……ああ」
一瞬きょとんしたような顔をしてからの素っ気ない返事。
僕は笑顔を返して、残りの階段を駆け下りた。
不思議だ。一日の疲れがある体が心地好く軽い。
改札を出てから少しいったところで立ち止まって振り返ると、東海道は駅員と何か話している。その顔に先までの感情はない。
凛とした立ち姿はいつもの東海道新幹線だ。
僕は正面に向き直って駅の出入り口へと足早に歩みを進めた。