北欧ノ神物語 - Sigyn & Loki -(サンプル)
北欧神話の小説です。
書下ろし1作を収録しています。
・書下ろし
「北欧ノ神物語 - Sigyn & Loki -」(シギュン、ロキ)
A5サイズ:30P:200円
2025/05/04「SUPER COMIC CITY 32 -day2-」で発行
◆表紙と本文のイメージ
*もう少し種類と大きめに見る→pixiv
◆本文サンプル
アース神族に仲間入りしたばかりの頃のロキとシギュンの出逢いをシギュン視点から描いた話
※本では縦書きになります
「信じられない!」
右斜向かいに座る鳶色の髪をした女性の言葉に、シギュンは困ったような笑みを浮かべた。
「信じられない、シギュンのような可憐な彼女をふるなんて!」
「ヴァール、落ち着いて。パイの欠片が皿の外へ飛んでいっているわ」
「だって、ロヴン!」
感情を高ぶらせるヴァールを、円卓を囲むもうひとりの女性ロヴンがたしなめる。彼女が顔を下に動かすと、肩下に流れる亜麻色の髪の毛が微かに揺れた。
「でも、残念なのはたしかね。シギュンの作るお菓子、とても美味しいのに。もったいない」
ロヴンが銀のフォークで一口大に切ったアップルパイを口に運ぶと、その頬がほんのりとほころんだ。
「ヴァールさん、ロヴンさん、いいんです」
交互にふたりと視線を合わせてから、シギュンは首を小さく横に振った。
「合わなかった、というだけですから。それに、彼は甘い物は得意ではなかったですし……」
「シギュン……」
まだ何か言いたげな面もちのふたりにシギュンは微笑み返して、ティーポットを手に立ち上がる。
「お茶を入れ直してきますね」
先輩のようなふたりに話を聞いてもらい、重く暗かった気分が幾分かすっきりとした。
(でも、本当にどこがいけなかったのかしら……?)
家の前で帰るふたりを見送ったあと、お茶会で使用したティーカップなどを片づけながら、シギュンはあらためて彼氏との交際について考える。
一年に渡った交際は順調だと、そう感じていた。何度か互いの家を行き来もして、あと少しで結婚かとそんな意識も芽生えていた。しかし、数日前に突然彼のほうから別れを切り出された。とても申し訳なさそうに話す彼に、シギュンは自分のほうが悪いことをしているかのような感覚に見舞われた。だから、反感の情もなくはなかったが、強く問い返すこともなくシギュンは別れ話を受け入れた。
――彼にとって、自分の何がだめだったのか
肩を落として悩むシギュンに、ヴァールやロヴンは『シギュンは悪くない』『相手のわがまま』などと言って慰めてくれた。
彼女たちの優しさが温かく、とても嬉しい。
けれど、自分に悪いところがなかったわけではないだろう。
ふぅ……とため息がこぼれた。無意識のそれにシギュンははっとして、頭を左右に振った。
「落ち込んでちゃ、だめよね」
自分にそう言い聞かせて、食器を洗い終える。
(そうだ、そろそろ洗濯物も……)
窓の外に目をやれば、すでに太陽が傾き始めていた。
今日は晴天で、分厚いものもなかったからすでに乾いているだろう。
洗濯物を干している中庭に出る。眩しいほどに青々としていた空は淡く翳りを帯びて、空気にはどことなく夜の気配を感じる。
シギュンは妙にしっとりとした気分になりながら、黙々と洗濯物を取り込んでいく。
「……あっ」
最後の一枚、白色のタオルを取ろうとしたときだった。不意に突風が吹いて空へとタオルが舞い上がる。シギュンが慌てて手を伸ばすが届かない。
タオルは風にさらわれるがまま家の裏手へ飛んでいき、すぐに屋根に遮られて見えなくなった。
「大変!」
洗濯物を家の中に置いて、シギュンは駆け足でタオルを追った。
(どこ……?)
巡らす視界の端にちらりと白色が見えた。
シギュンはその方角へ走る。
薄暗くなる空の中をひらりひらりとタオルは舞い続け、やがて緩やかに高度を下げていき、町外れの小高い丘に生える一本の木へ。
やっとタオルに追いつく、と思ったときだった。
「――うわぁっ!?」
素っ頓狂な声が辺りに響いてきた。思わず、シギュンは足を止めて周囲を見回した。
ガサガサッ、ドンッ
「きゃっ」
枝葉の擦れる音が聞こえた直後、シギュンの目の前、三歩ほど先に大きなものが落ちてきた。
「いってぇ……」
(あっ……)
驚きのあまり硬直していたシギュンだが、耳に届いた声に思考が動きを取り戻す。
正面の大木から落ちてきたのは、ひとりの人物。呻きながら彼が地面から上半身を起こして、顔にかかった長い髪を鬱陶しそうにかき上げる。
まるで深い夜の闇を切り取ったかのような真っ黒な髪の毛、アースガルドでは珍しいその髪色をもつ人物をシギュンはひとりしか知らない。
(ロキ、さん……?)
ぽつりと心の中でつぶやく。
これまでシギュンは彼と話したことはない。ましてや、こんなにも近くで彼と対面したことすらなかった。それでも、一目見ただけで名前が出てきたのは、ここアースガルドで彼があまり良くない理由で目立つ存在だからだ。
――巨人族
シギュンの脳裏にひとつの単語が過った。
「一体何なんだよ……ん? タオル?」
「あ、それ……」
傍らに落ちていた白色のタオルを拾い上げて眉をひそめたロキに、シギュンは反射的に声を発していた。
ロキの顔が手元からシギュンに向く。青、というには緑がかった不思議な色合いの瞳に見据えられ、シギュンは妙にどきりとした。
「誰だ?」
「あ、えっと、私は、シギュン……」
どぎまぎしながらもシギュンは短い呼吸を一回挟んでから言葉を続ける。
「その、タオル……洗濯物を取り込んでいたら、風に飛ばされてしまって……」
「ああ、なるほど」
納得したように独り言ちて、ロキの顔から怪訝の色が引く。
ロキは立ち上がりシギュンのほうへ歩み寄ると、タオルを差し出した。
「ほら」
「あ、ありがと……」
タオルを受け取ったシギュンは、息を呑んで青色の双眸を見開いた。
――赤い、血だ
「おい、どうした?」
自分の差し出した手のほうを凝視して固まったシギュンにロキが訊く。
シギュンは視線を上げて恐る恐る答えた。
「その、血が……もしかして、怪我を……?」
「血? ああ、木から落ちたときに擦ったんだな」
右手首の上から肘の間にできた血のにじむ傷を見て、ロキが痛がる様子もなく言う。
しかし、平然としているロキとは対照的にシギュンは頭から血の気を引くのを感じた。
自分が手にしているタオル、彼の怪我、その後ろにある木。
(私のせいで怪我を……?)
シギュンが無意識にタオルを握りしめる。これが風に飛ばされなかったら、彼が木から落ちて怪我を負うことはなかった。
罪悪感が思考を駆け巡る。
「っ、ごめんなさい!」
シギュンが勢いよく深く頭を下げた。
突然の謝罪にロキはきょとんとした表情で瞬く。
「私のせいで、迷惑をかけただけでなく、怪我までさせてしまって、ごめんなさい!」
「……気にするな。たいした怪我じゃないし、俺の運が悪かっただけだ」
頭を下げ続けるシギュンの耳に届いたのは、静かな声だった。怒りは感じられない。ただ微かにため息が混じっていた気がした。
「じゃあな」
「まって!」
去ろうとしたロキをシギュンが顔を上げて引き留める。
「怪我をしているなら、手当てをしないと……!」
「別にいい……」
「だめよ! それに、私のせいだから……お願い、手当てさせて」
青色の瞳にまっすぐに見つめられた碧色の瞳がわずかに揺らぐ。
一拍分の沈黙を置いてから、ロキはゆっくりと返事をした。
「わかったよ」