アースガルドの神々事情 6


 暖かな感触が、体の奥底に沈んでいたロキの意識をすくい上げるように明るさの中へ浮上させた。
 ん、と呼吸とともに一音を小さく開いた唇からこぼして、ゆるゆると瞼を開く。
「……ロキ? 気がついたのね。よかった」
 聞き覚えのある声がした。暗闇から一転して眩しくなった視界に、ぼんやりとひとりの人物の姿が映る。
 何度か瞬きをするうちに、目の前の像は明確な形と色を成していく。優しい色合いの金髪に、自分を見つめる明るい青色の瞳。柔和な顔立ちのその女性には、たしかな見覚えがある。
「シギュン……?」
「そうよ。大丈夫? どこか痛くない? 苦しくない?」
 不安げにシギュンが聞いてくる。
 なぜ、彼女はそんなに暗い顔をしているのだろうか。
「シギュン、俺は……どうしたんだ?」
「あなたは剣術大会でけがをして、医務室に運ばれたの」
 剣術大会。
 その単語を耳にした途端、霞がかっていたロキの思考がすっと晴れた。本来の動きを取り戻し始める。
 ロキは素早く周りを見回した。
 装飾の少ない室内だが質素ではなく、小綺麗で暖かみを感じる。いくつかの寝台や棚が整然と並び、肺に落ちる空気には薬草の独特な香りが混ざっている。
 シギュンの言ったとおり、ここは医務室だ。自分は今までその寝台で眠っていたようだ。
(けがをしてここに運ばれた……?)
 疑問が、ロキの頭の中に薄紫色の髪をしたひとりの男の像を呼び起こす。
 そうだ、彼と戦っていた。昔から因縁のあるヘイムダルを堂々と叩きのめすにはいい機会だと、それまでの試合とは違い本気で剣を振るって、そして――。
(どうなった……? あいつとの勝負は……?)
 おかしい。戦っている場面までしか思い出せない。
 顔をしかめてロキが、寝台の傍らに座るシギュンに尋ねる。
「シギュン、大会で何があったんだ?」
「覚えて……そうよね、ないわよね」
「?」
 意味深な言葉にロキの怪訝が深まる。
 シギュンは一呼吸の間を挟んでから、躊躇いがちに再び口を開いた。
「大会は、あなたが目覚める少し前に終わったわ。優勝したのは、チュールさん。あなたはヘイムダルさんとの試合で、引き分けになったの」
「引き分け?」
「審判のウルが、あなた達がなかなか決着がつかないからって、その、強制的に弓矢でふたりとも気絶させたの」
(ウルが……)
 後半にいくにつれて言い難そうに告げられたシギュンの言葉を手がかりに、ロキは頭の隅に埋もれていた小さな記憶を見つけ出した。
(そうだ、あのとき)
 拮抗する戦いに嫌気が差してきて、決め手となる攻めの方法を考えていたとき、不意に大きな衝撃と痛みを頭に感じた。その直後に目の前が真っ暗になり、意識もそこでぷっつりと途切れたのだ。
『審判にそんな態度をとっていいと思ってるの? ロキ、本当に失格にするよ』
 ふと、大会が始まる前に会ったウルの不敵な言動がロキの脳裏によみがえってきた。
(あいつ……!)
 自分の身に起きた一連の出来事を認識するや、抱いていた懐疑の念が一気に怒りへと変化して、ロキは勢いよく起き上がった。
「ぅ……」
 だが、呻くほどの目眩に襲われて、寝台から足の指一本さえ出せずに前のめりに身体を折る。
「ロキ!」
 椅子に座っていたシギュンが慌てて立ち上がり、支えるようにロキの肩に手を伸ばした。
「大丈夫? いきなり起きたら危ないわ」
「……平気だ……」
 数回瞬き、呼吸を整えてから、ロキはゆっくりと上半身を起こした。
 吐き気はないが、頭部に鈍痛がする。痛みが発するところを撫でるように触れてみると、小さく盛り上がった感触がした。どうやら、たんこぶができているようだ。
 それができた原因を思い出してロキが顔を歪める。
「ロキ、エイルを呼ぶ?」
 その声にはっとして傍らを見やれば、手は引いたがシギュンの表情には不安の影がまだ色濃く残っていた。
 ロキはばつの悪さを覚えて、眉間の皺を解くと首を小さく横に振った。
「いい。それよりも、水をくれ。喉が渇いた」
「ちょっと待ってて」
 足早にシギュンが部屋の隅にある円卓へ向かい、卓上に置いてあった水差しからコップに水を注ぐ。
 ロキは彼女から自分の手のほうに顔を動かして、現在までに繋がった記憶にひっそりとため息を吐いた。
(結局、オーディンの奴に遊ばれただけか)
 腹立たしさと悔しさがない交ぜになって胸中がもやもやとする。掛け布団に意味もなく爪を立てる。
(しかも、ウルにはバカにされたままだ、し……?)
『やっぱり不機嫌だねぇ、ロキは。シギュンに格好いいところを見せられる良い機会なんだから、もっと張り切ったらどう?』
『なんでそこであいつが出てくる。そもそもシギュンは観に来ない』
『えっ、ついに見捨てられたの?』
『俺が来るなって言ったんだ!』
『へー、負けて格好悪いところを見せるのが嫌だから?』
 それは、大会が始まる前のウルとの会話だ。
「ロキ」
 呼び声に顔を上げれば、シギュンがコップを手に戻ってきた。
「はい」
「ああ……」
 差し出されたコップを受け取る際にロキはついシギュンの顔を注視してしまいそうになって、急いで手中の水面に視線を移した。
 小さく揺れる己の像が表情を曇らせる。
(さっきの言葉……まるで見ていたかのような言い方だった……なんで、シギュンが大会のことを詳しく知っているんだ?)
 嫌な予想が生まれる。
 ロキはシギュンに視線を戻した。青い瞳が静かに見返してくる。
 返答が恐いが聞かずにはいられなかった。
「シギュン、もしかして、大会を観てたのか?」
「えっ……」
 シギュンの双眸が見開かれ、焦りの色が滲み出す。
 その反応だけでロキは悟った。
 やはり、彼女は自分が医務室に運ばれてから呼ばれたのではなく、大会を観に来ていたのだ。
 来るな、と言ったのにそれを破って。
「ロキ……あの、ごめんなさい」
 シギュンがうつむく。膝上で重ねた両手がぎゅっと握りしめられる。
「来ないつもりだったの、でも、シフさんに誘われて……。それに、あなたが戦っている姿を見てみたかったから」
「そうか」
 応えたロキの声色は無意識のうちに淡泊なものになっていた。
 だが、それに気がついても、ロキは言い直す気にはなれなかった。
 怒りは、わいてこない。声から起伏と勢いを奪ったのは、激情とは逆の感情だ。
(あれをシギュンが見ていたのか……)
 大会のこと、とくにヘイムダルとの試合のことをもう一度思い返せば、心がまるで雨に濡れて肌に貼りついた衣服のようにじっとりと重くなる。
「約束を破ってごめんなさい」
「………」
 シギュンの謝罪にロキは何と返したらいいのかすぐに判断できず、手持ちのコップに視線を逃がした。
 互いに言葉を失って、ふたりの間に沈黙が落ちる。
 時間が経てば経つほど気まずさが増していく。居たたまれない空気にロキは水を飲んで落ち着こうとしたが、流れゆく感触に気持ちが緩むことはなく、さしたる時間稼ぎにもならなかった。最後の一口はあっさりと喉元を過ぎていった。
(どうするか……)
 視線を傍らに動かすと、シギュンはうつむいたままで何も言わない。
 ……いや。
 彼女は言わないのではなく、自分の返事を待っているのだ。
 そう推し量ったロキは空になったコップを握りしめて、それから呼吸とともにゆっくりと余分な力を抜いていった。
 寂しげな顔を見据え、慎重に唇を開く。
「シギュン、」
「――失礼するわ」
「?!」
 ノックもなく突然医務室の扉が開き、ふたりのものではない凛とした声音が室内に響いてきた。
 ロキは続けるはずだった言葉を呑み込み、扉のほうを見た。ひとりの女性がこちらに向かって歩いてくる。
「フレイヤさん……?」
 そう言ったのはシギュンだ。慌てて立ち上がって居住まいを正す。
 突然の来訪者はふたりのそばまで来ると足を止めた。宝石がちりばめられた首飾りと腰まである金髪が灯りを受けて輝き、意志の強さが漂う深青色の瞳がまっすぐ眼差しを返す。
「あら、元気そうね、ロキ。あんなに面白い倒れ方をしたにしては」
「っ……」
 どう受け取っても揶揄でしかない言葉にロキは言い返したくなったが、目の端に映るシギュンの姿を意識した途端、わき上がった怒りを喉元で詰まらせた。
 フレイヤの目線がほんの少しだけ向きを変える。
「残念ね、シギュン。せっかく観に来たのに、旦那が情けなくて」
(なっ……、なんでそこでシギュンに話をふるんだ!)
 どきりと心臓が大きく跳ねた。自分にかけられた言葉よりも頭の芯がざわついて、ロキは慌ててシギュンを見やった。
 シギュンは首を横に振った。
「そんなことないわ。ロキの戦う姿はかっこよくて、素敵だったわ」
 穏やかに言い切ったシギュンがロキに振り向いてふわりと笑う。頬が淡く朱色がかったその顔は、どことなく照れくさそうだ。
(シギュン……)
 暗く寒い空間に暖かな光が射し込んできたようにロキは感じた。胸の内の不快感がじわりと溶けていき、ふわふわとした心地の好いものがこみ上げてくる。
「はいはい。仲が良くて大変よろしいこと。でも、そういうのはお家でやってちょうだい」
 フレイヤの冷めた声が、穏やかに変化したふたりの空気に水を差した。
 無遠慮なそれにロキはフレイヤを睨んだが、相手は一瞬目を合わせただけで顔の向きを変えた。
 濃い青色の双眸がとらえたのは、ロキのいる寝台の隣。仕切り用の白いカーテンが引かれたその向こう側には、同じような寝台が置いてある。
「こっちね?」
 目を離さずにフレイヤが尋ねる。
「あ、はい。でも、今は……」
 答えたのはシギュンだ。
(なんだ?)
 ロキには彼女達の問答の意味がさっぱりわからない。
 白色のカーテン越しでは向こう側はよく見えない。寝台と思われる灰色っぽい影が半ばから下にかけて映るだけだ。
 フレイヤは隣の寝台に歩み寄ると躊躇なくカーテンを開いた。
(……あ)
 露わになった寝台の上に横たわっている者の姿を見て、ロキは反射的に眉間にしわを寄せた。
 紫がかった特徴的な髪色が嫌な思い出を脳裏に過ぎらせる。
 枕に頭を預けて瞼を閉じているのは、見間違えようもなく、ヘイムダルだ。
 あの試合でヘイムダルも自分と一緒に気絶したそうだから、ここにいてもおかしくはない。そう、ロキにも理解はできるのだが、やはり同じ空間にいると知ると居心地が悪くなってくる。眠っているのがまだ幸いか。
「どうりで……帰りが遅いと思ったら」
 ため息混じりにフレイヤが言う。
 だが、その一言がヘイムダルにたいしてではないことに、ロキは一呼吸を挟んでから気がついた。
 寝台のヘイムダルのそばに、椅子に座っている人物がひとりいる。肩下まである金髪に細かな装飾が施された髪飾りをつけた少女。突っ伏すように頭部を寝台の端に預けている彼女が何者なのか、ロキは知っていた。
「……フノス……?」
 フレイヤの娘だ。
 フノスは、思わず発したロキの声にも母親にも何の反応も示さない。上半身にかけられた薄い毛布の下で肩がゆっくりと上下している様子から、どうやら眠っているようだ。
(なんで、フノスがここに……?)
 フレイヤがここに来た目的がフノスであることはわかったが、そのフノスがヘイムダルのところにいる理由がわからない。
 新たに発生した謎にロキがしかめっ面を濃くする。
「フノスちゃんは、倒れたヘイムダルさんのお見舞いにきたのよ」
「見舞い……?」
 シギュンが察したように小声で教えてくれたが、渦巻く疑問が完全に解消されるまでには至らなかった。ふたりの仲がそこまで良いということ自体、ロキには全く認識がない。
 フレイヤが顔だけでふたりに振り返った。
「この毛布は、シギュン?」
 人差し指で示すのは、眠るフノスの体を温めている一枚の毛布。
「はい。起こそうかと思ったんですが、気持ちよさそうに眠っていたので……」
「そう。わざわざありがとう。――ロキ」
「なんだよ」
 未だ状況を把握し切れておらず、また、突然呼ばれたことにロキが身構える。自分の疑問に答えが与えられるのかと淡い期待が少しわいてきたが、残念ながら、期待は期待のままで終わった。
「好奇心を発揮できるほど元気なら、こんなところにいないでさっさとお家に帰ったら? あなたとヘイムダルの面倒な口喧嘩に巻き込まれたくはないの」
 素気ない表情で淀みなく言い終えるや、フレイヤは返事も待たずに内側からカーテンを閉めてしまった。
 あからさまな嫌みでしかない言動に当然、ロキは反抗の気持ちを覚えたが、何も言い返さなかった。代わりに舌打ちをしてから、胸中に発生した負の感情をため息に混ぜて外に吐き出した。
 今日はもう心身ともに疲れてしまった。不満はあるが、ヘイムダルやその他の奴とやりあう気分には到底なれない。
 ロキは視線を遮られた寝台から自分の傍らに移した。
「シギュン、帰るぞ」
「体は大丈夫なの?」
「これ以上ここにいるほうが悪くなる」
 唇をとがらせてロキが言えば、目の前の青の双眸がいつものやわらかな印象を帯びて、くすりと笑みがこぼされた。
「わかったわ」
 シギュンにコップを手渡してロキは寝台から降りた。体勢が変わったことで一瞬足元がふらつき、たんこぶのある頭は未だにずきずきと痛むが、動くことに支障はない。
 シギュンが使い終えたコップを片づけに行く。
「………」
 ロキはカーテンに覆われた静かな隣の寝台を一瞥してから、扉のほうへ足を踏み出した。

   ◆

 目が覚める。
(……ここは……)
 暗闇から一転、眩しくなった視界にヘイムダルは深い紫色の瞳を細めながら、自身の状況を把握する。
 明るい光の先に見えるのは、木製の天井。体に感じるのは、包まれるような暖かな感触。それは、白色の布団だ。
 どうやら自分は、どこかの寝台で眠っていたようだ。
「――起きたのね、ヘイムダル」
 近くから凛とした高い声音が鼓膜を震わせた。
 光が何かに遮られる。
 金の髪に、青の瞳。まるで装飾品のように艶やかな女性の顔が自分を見下ろしている。
 ヘイムダルの再起し始めていた思考が一瞬固まり、やがて遅れを取り戻すかのように高速で回転し出した。
「っ……フレイヤ?!」
「どうも」
 驚きのあまり反射的に口からこぼれた名前に、視線の中の女性が微笑みを返してくる。
 けれど、神界一と謳われる美貌の持ち主から愛想を向けられても、ヘイムダルの心は全く休まらなかった。逆に、嫌な感覚に襲われる。
 なぜ、フレイヤが自分のそばにいるのか。
 そもそも、ここはどこなのだろう。
 自分は一体どうしたのか。
「ここは剣術大会会場の医務室よ。貴方は審判の判断でロキと引き分けになったの。といっても、実質は両者負けになったのだけれど」
 ヘイムダルの疑問を見越したようにフレイヤが言った。
(……そうだ)
 目覚める前の記憶が無意識に脳裏へと引っ張り出される。
 剣術大会のこと。
 ロキとの戦いの始終。
(引き分け? 負け? じゃあ、大会は……?)
 ヘイムダルは顔をしかめた。
 もう少しよく現状を確認したい。そう思ってヘイムダルは体を起こそうとしたが、フレイヤにほっそりとした人さし指の先端を額に軽く押しつけられて動きを制された。
「起き上がるのならゆっくりやって。もしフノスを起こしたら、怒るわよ」
「?」
 新たな疑問にヘイムダルは三度瞬き、起き上がるのをやめてフレイヤが目線でうながしたほうに顔を向けた。
 寝台の端の、横たわっている自分の腰上辺りの位置に金髪の少女が椅子に座り、顔をシーツに預けるような格好で眠っている。
 ヘイムダルが深紫色の目を少し丸くする。
 彼女とは、昨日も昼間に会った。星の欠片をちりばめたかのような髪飾りのその持ち主を、見間違えるはずはなかった。
 フレイヤの娘のフノスだ。
「フノスは、気絶したあなたのお見舞いに来たのよ」
(俺の? どうして?)
「本当、なんで、『あなた』なのかしらね」
 自分の思考をまるで覗き見たかのような発言の間の良さに、ヘイムダルは思わずフレイヤに顔を戻した。
 夜が迫る空のような濃い青色をした双眸とまっすぐに視線が交わって、ほんのわずか細められる。
 その仕草に何やら意味が込められているようにヘイムダルは感じたが、それを読み取るまでには至らなかった。
 一つの深い瞬きを挟んで、フレイヤが椅子から腰を上げる。
「じゃあ、ヘイムダル。フノスのこと、よろしくね。ちゃんと今日中に家に帰さないと、ただじゃおかないから」
「え……、連れて帰らないんですか?」
「あなたが起きないまま日が暮れたらそのつもりだったわ。でも、目覚めたし、体調も平気そうだし。それに、一番はフノスの意思を尊重したいから。私はここで帰るわ」
「フノスの意思?」
 ヘイムダルが増える疑問と大きくなる戸惑いに思わず復唱すると、フレイヤは面倒だという感情を声と顔に滲ませた。
「本当、そういうところはロキにも負けないほどの鈍さね」
「っ、どういう意味……!」
「うるさい。そんなことでフノスを起こさないで」
 聞き流せない名詞を耳にしてついかっとしたヘイムダルだったが、冷静なフレイヤに額を中指で弾かれて激情を散らされた。
「ま、そうやって、わりとすぐに大人しくなるから、あいつよりはましだけどね」
「………」
 ヘイムダルが苦い表情を作る。一言でも返したかったが、何を言っても無駄な気がして唇は開かなかった。
 フレイヤが口角を上げる。
「そうそう。剣術大会はもう終わったわよ。優勝はチュール。頑張ったのに、残念だったわね」
「………」
「お大事に、ヘイムダル」
 同情の言葉とは裏腹に愉しげな響きを残して、フレイヤがヘイムダルに背を向ける。振り返ることはなく、さっさと医務室から出て行った。
 扉が閉められる小さな音を寝台のカーテン越しに聞いて、ヘイムダルがため息を吐く。それは別に、大会の結果について無念を覚えたからではない。
(相変わらず……よくわからないな……)
 フレイヤの言動だ。とくに、フノスのことが絡むと謎が一層増す。
 自分と娘が一緒にいることが気に食わないわけではないようで、しかし、距離が近くなるのは不満のようだ。具体的な理由は、未だにわからない。
(フノスは)
 ヘイムダルが残された女神の愛娘を再度見やった。
 安らかな寝息を立てているその顔はあどけない。起きているときの彼女の母親似のツンとした態度を思い返す。
(お見舞い、か。嫌われてはいない、とは思っていたが……)
 フノスが見張り番の仕事中に自分のところに来るようになったのは、アースガルドを出て行った行方不明の父親を迎えるためだ。
 ――しかし、今日は、無関係のこの場所にフノスは来てくれた。
 その事実を先程よりも深く認識すると、ヘイムダルは胸の奥から暖かくなるのを感じた。
(……起こすのは、まだあとでいいか)
 そう思って、穏やかな寝顔に頬を緩めた。