鉄路を走る者/営む者 6


「――沿線で起きた火災の影響で、東海道新幹線は約四時間運行を見合わせました。この見合わせによって、」
 テレビの画面に映るスーツ姿の男性アナウンサーが前触れなく、のんびりと街中を歩きながら話す芸能人に変わった。
「……山陽」
 勝手に切り替わった画面に、俺は隣にきてリモコンを操作した山陽を軽く睨みつけるように見た。
「東海道」
 自分と同じ茶色がかった黒の瞳が怯まずに見返してくる。
「気になるのはわかるけど、こういうのを見ていても体によくないだけだよ」
 諭されるように言われ、俺は言い返さなかった。奪われたリモコンを取り返す気にもならなかった。むっとしたまま、テレビに顔を戻した。
 芸能人が洋風の飲食店に入って食レポを始める。鉄板の上でデミグラスソースをかけられたハンバーグが、白い湯気を宙に立ち上らせながらジュウジュウと音を立てる。ハンバーグの真ん中にナイフが入り、割られたそこから透明な肉汁が溢れ出て、茶色いソースと絡まってさらに香ばしさが際立つ。
 しかし、それを見ても俺の食欲はそそられない。時間的にも腹は空いているはずなのに。
 かた、と小さな音がして、鼻先にふわりと香辛料の香りが漂ってきた。視線を下げれば、正面にある机にカレーライスが置かれていた。
 俺は左横にいる山陽を見た。
「あっ……もしかして、ハンバーグのほうがよかった……?」
 炊飯器から丸皿にご飯をもっていた山陽が俺の視線に気づいて、申し訳なさそうな顔をする。
「いや。ただ見てただけだ」
 そう言って、俺はカレーライスのほうに目をやる。あらためて見れば、周りには小皿で福神漬けやチーズ、コロッケも置かれている。
「ちゃんと食べてね。いただきます」
 自分の分のカレーを盛り付け終えた山陽が俺の心境を見透かしたように一言つけ加えて、手を合わせる。
 俺も声には出さずに食事の挨拶をして、スプーンを手にした。ルーとご飯をすくって口に運ぶ。ほどよい熱さの中から、香辛料の辛味と香りが口内に広がる。美味しい。少しだけ食欲が刺激される、が、やはり普段ほどではない。
「そうだ、忘れてた」
 福神漬けをカレーライスによそっていた山陽がスプーンを皿に置いて立ち上がると、足早に台所に行った。
 カサカサ、カタカタ、というような物音が消えてくる。
 なんだ……?
「東海道」
 ややあって山陽が一枚の皿を手に戻ってきた。
「これ、九州から。お疲れさまって」
 そう言いながら机に置いた皿には、輪切りにされた黄色いレンコン。馴染みはないが見覚えはある。
「これ……」
「辛子レンコンだよ。たしか、東海道、食べたことあるよね?」
 ある。山陽新幹線が九州新幹線と直通を始めるとき、九州地方について知るためとかそんな理由で山陽が持ってきたのを食べた。うまい不味いよりも、予想以上に辛子が鼻にきたのをよく覚えている。
 だからこそ、顔をしかめたのだ。
「食べたことはある。でも、今出すか? カレーだぞ」
「だって、今日大変だった東海道にってせっかくもらったから……。それに、カレーでもきっと合うと思うよ。辛子レンコンにカレー味もあるし!」
 力強く山陽が主張するが、そういうことじゃない。
 だが、今日はさすがにいつものように文句を連ねる気にはなれなかった。
 俺は机の真ん中に置かれた辛子レンコンを一つ箸に取った。山陽の表情が少し嬉しそうになったのを横目で知りつつ、一口かじる。しゃくっとしたレンコンの歯ごたえ、鼻にツンと辛子が香り、辛味とともに味噌の味を感じ……。
「けほっ、ごほっ」
「東海道? 大丈夫?」
 むせて急いで緑茶を飲む俺に山陽が心配そうに聞く。
 俺はグラスに入っていた緑茶を飲み干して一息ついてから、わき上がった感情を吐き出した。
「これ、すごく辛いんだが……!」
 気のせいか、前回食べたときよりも辛さが増している気がする。
「ああ。そういえば、それ、通常よりも辛子の割合が多めの辛子味噌入りなんだって」
「先に言え!」
「ごめん。そんなに辛かった?」
 山陽が辛子レンコンを口にする。咀嚼し始めて二秒後、少し顔が歪んだ。
「辛い。本当だ」
 と言いながらも、飲み物を飲むことなくカレーを食べる。
「あ、でも、カレーに合わないことはないよ」
 ……なんか悔しい。
 しかし、見栄をはって辛子レンコンを食べ進めたくはない。
 山陽から視線を外し、俺はカレーにチーズを入れて混ぜる。とろりと溶けたチーズがルーの中でゆるやかな白い線を描く。
 横で山陽が空になった俺のグラスに緑茶を注ぐ。
 正面のテレビから数人の笑い声が響いてくる。
「……東海道」
 山陽の、少し控えめな呼び声が聞こえた。機嫌をうかがっているのか。
 俺は視線をカレーから山陽に移した。
「なんだ」
「九州は、本当に君のことを心配してたんだよ」
 自分と同じ色合いの瞳がまっすぐ見つめ返してくる。
 真剣な眼差しを感じながら俺は辛子レンコンをちらと見て、
「わかってるよ」
 カレーをすくって口に運んだ。チーズのまろやかさが味覚に優しい。
「本当にわかってる?……僕も、心配したんだからね」
 山陽の声の調子が弱くなる。肩を落として明らかにしゅんとした様子を見せる相手に、やれやれと思う。
「わかってるって。何年の付き合いだと思ってるんだ」
「………」
 もう一度肯定を口にしても、不安げな面持ちは変わらない。
 本当に、しょうがない奴だ。
「山陽」
 沈黙した山陽を俺は手招く。
 寄ってきた山陽の額を指先で弾いてやった。
「っ、痛いよ、東海道!」
「おまえがそんな顔してるからだ」
「だって……」
「心配かけたのは悪かった。俺はもう大丈夫だ。だから、もう心配はしないで、いつものようにへらへらしてろ」
「ちょっ……へらへらって、僕、普段そんな風にしてないよ」
 山陽がむっとした顔を作る。しかし、すぐにその口元と目元が淡い笑みに変わった。
 まったく、手間のかかる奴だ。
 俺はカレーを食べようとしたが視界の端に映ったものに、スプーンを箸に持ち変えた。かじりかけの辛子レンコンをつまんで、一口。
 広がる味噌の旨味とそれを上回る辛味。
 表情が歪むのをこらえきれない。
「山陽、辛子レンコンは普通のでいいって、九州に言っておけ」
「はーい」
 山陽の少し笑い声を含んだ明るい返事を聞きながら、俺は緑茶を口にした。